センター長のつぶやき

2024年9月5日 センター長 倉田 理

先日、ある開業医の先生と話をしていた時に、「高齢者にどこまでの医療資源を投入するのか、考えなければならない時が来ているのではないか。ただ、一律に年齢で区切れるものではなく、それぞれの個人ごとにフェーズが異なるので、ACPのことと併せて、考えていくべきである」というようなことを言われていました。  日本が本格的な人口減少社会に入り、日本人に限ると、現在では約2年の間に、日本全体において、三重県の今の人口程度が減少しています。国の官僚の方でも「縮む日本」という言葉を使っている人もいます。これから更に人口減少が進むことを踏まえれば、全ての高齢者に亡くなるまで、できる限りの医療を提供することが難しくなる可能性は十分にあると思います。

   今年度の介護保険制度の改正においては、介護現場でもACPの普及促進が謳われていますが、現場にいる者の感覚では、なかなか遅々として進んでいないように感じます。本来であれば、一人ひとりの国民が、自分らしい最期のあり方を考えて、自分事として、そのために、どこまでの医療を提供してほしいのかを決めていく、言い換えれば、自分の人生の最期を見据えた、「納得解」をつくっていくべきなのだと思います。

   国が推進している地域包括ケアシステムにおいては、「時々入院、ほぼ在宅」というフレーズも使われています。日本においては、自宅にいる時は開業医の先生にかかりつけ医になってもらっていても、入院するとその病院の医師が主治医になることが一般的ですが、アメリカにおいては、かかりつけ医である開業医が契約している病院に入院し、その後もその開業医が外来の合間に病院に行き入院治療を行う形が一般的であると聞きました。日本の場合であると、在宅と入院で主治医が替わることになり、治療の一貫性が担保しにくい部分があると思います。今日ではアメリカにおいても、開業医だけで外来の片手間に入院治療を行うことが難しくなってきたので、病院に常駐し、入院治療を専門とする総合診療医(ホスピタリスト)が開業医と共同で入院治療に当たることが一般的になってきているようですが、この形でも開業医も入院治療に関わりますから一貫性が担保できていると思います。

   医療システムもそれぞれの国に歴史があり、日本もこのような仕組みに転換していくべきとは考えていませんが、日本の形では、入院期間中はその領域の専門医が主治医になることが多くなり、「いかなる患者にも提供可能な医療はすべて提供すべし」ということにつながりやすい側面があるように感じます。

   私は、以前から、ミクロとマクロの連携が大切と思っており、ミクロの視点では、「納得解」づくり、マクロの視点では、在宅と入院医療の一貫性の仕組みづくりが大切になってくると考えています。