「地域包括ケアシステムと終活」
厚生労働省は、「団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に、重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、医療・介護・予防・住まい・生活支援が包括的に確保される体制(地域包括ケアシステム)の構築を実現する」と謳っていましたが、ついに2025年になりました。このような体制が構築されたかどうかについては、さて置き、この体制構築に向けた議論の中で、「本人の選択と本人・家族の心構え」が土台になるというようなことも言われていました。
本人の選択とは、高齢期において、どのように生きていくのかということですが、具体的には、自宅にてできるだけ長く生活するのか、施設に早めに住み替えるのか、延命処置をどこまで望むのか等をあらかじめ自分で選ぶということになります。
ところで、「終活」という言葉が普通に使われるようになりましたが、その意味するところは、「人生の終わりについて考える活動」のことで、具体的な活動内容は人によって異なりますが、主に、自分の遺産相続、遺品整理のことをまとめたり、自分の人生観や半生を綴ったりするのが一般的でしょう。自分の遺産や遺品をまとめるということは、言い換えると、遺産や遺品について、渡し方を自分で決めるということになるかと思います。もちろん、渡す前に自分でどこまで使うかということも含まれます(『DIE WITH ZERO(ゼロで死ぬ)』という2020年に発売された、アメリカの実業家が書いた本が日本でも50万部近く売れているそうです)。
一番肝になる部分は、「自分で決める」ということです。何を決めるのか、住む場所、延命治療、自分の財産をどのように使うか等々。自分で決めるということが、なぜ、それ程、大切になってきたのかについては、個人を大切にする文化の高まりということが背景にあるでしょうが、人間にとって、自分で決めるということは、生きる支えでもあるのです。
犯罪者に対する刑罰として、禁固刑がありますが、なぜ、これが刑罰になるかと言えば、当人から自由、つまり自分で決めることを剥奪しているということであるとも言えるからと思います。(刑務所での入浴は、浴槽に浸かっている時間まで決められているそうです)。
ただ、「人間は自由の刑に処せられている」と言った、サルトルというフランスの哲学者もいましたので、自由というのは一見すごく楽なようにみえて、実はしんどいことであるとも言えますが。何をするのも自分の意思で決めなければならないのです。
このように考えると、地域包括ケアシステムと終活ということは、やっぱり繋がっていると思えます。
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