三重県、青山高原の裾野、藤田学園の原点
七栗サナトリウムの一員として
医療科学部 臨床工学科 准教授 井平 勝
藤田保健衛生大学七栗サナトリウム開設25周年おめでとうございます。七栗サナトリウム検査室の一員として微力ながら参加することができたことを今でも誇りに思っております。荷物いっぱいの車を走らせ目の前に真新しい病院サナトリウムを最初に見た時、その横には美しい虹がかかっておりました。春になれば菜の花に囲まれたサナトリウム、水田に浮かんだ逆サナトリウム、満点の星の下に建つサナトリウムなどあれから4半世紀が過ぎたとは思えないほどいろんな風景が深く心に焼きついております。本当に素晴らしい環境の中で仕事をさせていただいたことに感謝いたします。
思えば最初の仕事は、すでに現地に行く前から大学病院の検査室で始まっておりました。大学病院と同じ結果が出せるように一つ一つの検査項目の相関をとり精度の高い検査を目指しました。開院日の患者は数人でしたが結果を出すまでに時間がかかってしまったのを覚えております。検査室を作り上げるという経験は、大変貴重なものとなりました。
大学病院という1000床を超す大検査室で働いできた私にとってサナトリウムでの業務は実に新鮮でした。職員のすべてがお互いに顔見知りで開院当初は、患者さまの顔も大体覚えておりました。緩和ケア病棟では、末期がんの患者さんからも声をかけていただいたことだけでなくのびのび暮されるのを見せていただいたことも実に貴重な体験でした。七栗サナトリウムでの4年間は私の人生からみれば短い時間でありました。しかし、今振り返ってみるとそこには非常に濃密な時間が流れ、いろんなことを教えられた時期であったと思います。
サナトリウムでは、検査にとどまらず運動療法やリハビリ(水治療)にも参加させていただきました。職員全員が一丸となって病院を作り上げていこうという雰囲気は開院当初からあったように思います。そのサナトリウムも開院25年を迎えリハビリテーション棟が建築され画期的なFITによるリハビリの充実、緩和ケア病棟では医療職種が連携した栄養サポートチームますます進化し続けているのを目にするのはとても誇らしい思いです。ダーウィンが残したとされる「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものでもなく、賢いものでもなく、変化に対応できる生き物である」という言葉を思い出します。まさに七栗サナトリウムは地域のなかに溶け込みながら未来をみつめ変化してゆく、そういった病院あり続けていただきたいと思います。自分もその病院の一部として参加したことを忘れずに柔軟であり続けたいと思っております