三重県、青山高原の裾野、藤田学園の原点
七栗サナトリウム 施設のあゆみ
―緩和ケア病棟の変遷ー
開院当時のホスピス病棟 〜認定を受けるまで〜
開院当初からホスピス病棟(当初はホスピスと呼んでいましたが、1990年代より「緩和ケア」についての定義が現れより当院にふさわしいこの呼び方になりました)は一般病棟として診療を続けていました。初代外科教授市橋秀人先生が1989年にご逝去され、大倉先生、桐山先生から2代目院長となる渡邊正先生が教授となられました。この時点では緩和ケアの認定は受けておらず、緩和ケアの治療をしながら一般病棟として診療を続けていました。(開院当時の新聞記事)
☆開院当時の中庭 ☆開院当時の和室
1997年7月1日 緩和ケア病棟18床開設(大学病院で初めての認可)
渡邊正院長先生が1995年に就任して2年後、渡邊正先生のご尽力により1階病棟が「緩和ケア」病棟として認可をうけました。
認可を受けるためには、人員の確保等いろいろな問題に対処して、家族控室・面談室・談話室等を作る必要があり、藤田啓介先生の作られた美しい中庭の真ん中に増築して基準を満たしました。
2003年10月1日 東口志先生就任(緩和ケアにNSTを導入)
東口先生が外科教授に就任されたことにより、緩和ケアの世界にNSTが導入され、緩和ケアは次の段階に進みました。
2006年3月7日 緩和ケア病棟へコミュニティドーム等が新設(設備の充実)
東口先生が緩和ケア病棟の設備を充実するためにコミュニティドームを新設し、スタッフステーションの改修・カンファランスルーム・浴室の増設、遠赤外線ルームの新設等施設の増設、病棟コンセルジュ等を導入されました。
☆コミュニティドーム
☆遠赤外線ルーム「陽だまり」 ☆家族控室
2010年4月1日 第一教育病院に緩和ケア病棟を開設(七栗からの進出)
この年第一教育病院に緩和ケア病棟が新設され七栗サナトリウムから初めて医局員を派遣することになりました。
2010年9月16日 緩和ケア病棟2床増床
緩和ケア病棟への入院希望者が増加し、4階病棟で待機する時間を少しでも減らすため、談話室とカンファレンスルームを病室に改築し2床ふやして20床となりました。
1階病棟を2床増加した分は4階病棟で使いにくかった角の2人部屋を1人部屋にすることで全体の病床数は変更しませんでした。
☆増設された病室