三重県、青山高原の裾野、藤田学園の原点
七栗サナトリウムと歩んだ25年
医療情報システム部 七栗課係長 池田 要夫
昭和62年4月、三重県久居市(現津市)に七栗サナトリウムが誕生しました。
内科、外科、理学診療科(現リハビリテーション科)の3科からなる病院で、当時はペインクリニック、温泉を利用しての水治療も行っておりました。
私は七栗サナトリウムが誕生した、昭和62年の4月に藤田学園に就職し、七栗サナトリウム管理部業務課営繕(現施設部)に配属されました。
病院の誕生と同時に、建築設備の運転管理、保守修繕の業務をさせていただきましたが、
病院は24時間365日稼働しており、病院の仕事の大変さをまず此処で学びました。
約1年後、業務課営繕在籍中に、入院医事の業務に携わらせていただきました。
手書きの処方箋、検査伝票等を見て、それをレセプトに書き込んでいくのですが、用語がわからず、各部署の人に助けてもらいながらの業務でした。
平成元年4月に医事課に配置換えとなり、完全に医事課の一員となりました。
平成2年4月、オーダーエントリーシステムを導入する為のチームが発足し、私も一員に加わらせていただきました。
藤田保健衛生大学は、自営でアプリケーションプログラムを作成する歴史があり、七栗サナトリウムでも自営でのプログラム開発となりました。
コンピュータ言語は、日本ではあまりなじみがないMSM(Micronetics Standard MUMPS)でした。
私以外の方はプログラミングに堪能な職員だったのですが、私は勉強会で少しかじった程度で、コンピュータに関する知識がほとんどゼロからのスタートでした。
私がまず担当したのは、患者マスターの登録プログラムでしたが、入力しやすいように、少しずつ改良を続けました。
平成3年8月に、外来オーダーがスタートし、その後、コンピュータシステムでのレセプト作成を始めましたが、手書きで書いていた様に出力が出来ず、そのつど知恵を絞り出し、改良を重ねました。
入院オーダーを始めるには、それから少しかかり、平成6年からの稼働です。
それから入院レセプトも始める事になりましたが、入院レセプトと外来レセプトの大きな違いは入院料です。
入退院履歴及び、移動情報から入院料を計算するのですが、この計算にも苦労しました。
平成10年にはDTM(Data Tree MUMPS)に変え院内にLAN配線が整いました。
平成16年、病院機能評価受審に当たり、ICD10疾病分類が必要となり、ICD10疾病分類の統計が出せるようにしました。
平成20年9月に電子カルテシステムの稼働が始まり、自営オーダリングシステムの歴史は閉じましたが、約18年間のシステム開発、保守に継続的にたずさわらせていただき、2年に1度の診療報酬制度改定にも対応してきました。
不備が多いシステムであったかもしれませんが、皆の協力のもと、システムを稼働させ続ける事が出来ました。
平成20年7月、電子カルテシステム導入準備を契機に、情報マネージメント部に配置換えとなり、その後、名称が医療情報システム部になりました。
電子カルテシステムにおいては、オーダーエントリーシステムとは比べ物にならない程多くの知識が必要で、自分の知識がいかに限定的であったかを痛感させられ、医療と密接に繋がっており適応範囲が広い事により、新たな責任が生まれました。
今後も、藤田保健衛生大学七栗サナトリウム発展の為、微力ながら力をつくして参ります。