三重県、青山高原の裾野、藤田学園の原点
私にとっての七栗サナトリウムは…
元医学部 内科講師 伊藤 哲也
25年前、今より少しだけ体重が軽く、今より少しだけ髪の多かった私は坂文種報徳会病院に勤務をしていました。ある日、故服部和彦先生が教授回診の後で私を呼んでこう話されました。「伊藤先生、七栗へ行ってください。」
「えっ・・・・・はい。」と返事をした私は、出来て間もない七栗サナトリウムで勤務することになったわけです。
当時の七栗サナトリウムの医師は、森日出男院長のもと、内科は外畑巌教授、中野幹先生、中野博先生が、外科は市橋秀仁教授、野垣正樹先生が、そしてリハビリテーション科には土肥信之教授が勤務しておられました。そしてもう一人、麻酔・ペインクリニックの片岡晃哉先生がおみえでした。(初めて野垣先生と片岡先生に紹介されたとき、そっくりで区別がつかぬことにびっくりしました。)
どんなところなのか全く分からず不安に思っていたのですが、諸先生や、スタッフの方々のおかげで充実した毎日を送ることが出来ました。外畑、中野先生に循環器診療を教わり、学会発表、厚生省の研究の手伝いなどさせて頂きました。また外科手術にも参加させていただけたことは誠に得難い経験でした。その中でも一番の自慢であり思い出は、市橋教授と二人で深夜に行った虫垂炎の手術です。また土肥教授の診察や、回診についたことでリハビリテーションについて学べることができました。
ともすれば医師は独りよがりになりがちですが、七栗での仕事は、悩める人・弱れる人に接する時、医師一人では限界があり、皆で寄り添い支えるものなのだと実感できました。看護、検査、薬局、レントゲン、PT、OT、事務、営繕、食堂の方々にどれほどお世話になったか知れません。(時々行われた夜の宴会も充実しておりお世話になりました)これらのことはみな日常の医療に役立っており、私の医師としての財産となっています。
私にとって七栗サナトリウムは現在の医業の基礎をなすものであり、彼の地で過ごした年月は一生の宝というべきものと思っております。これからも懐かしい七栗時代の医療経験を生かし医師を続けてゆく所存です。
さらなる藤田保健衛生大学七栗サナトリウムの発展を願ってやみません。