七栗と過ごした25年

icon 事務部長 川出陽一 icon 

 七栗と過ごした25年 昭和62年4月藤田学園保健衛生大学七栗サナトリウム事務員として採用されました。 採用試験は生薬研究所(藤田記念七栗研究所)で受け、2次試験を本院で受けたのを記憶しています。当時一次試験会場の横に建設中の七栗サナトリウムがあり緑に囲まれた環境の良い病院というイメージがありました。
  採用後、研修期間を2週間いただき本院側の一軒家に、事務員男子5人、営繕課4人、調理師1人合計10人が寝泊まりをして研修したことを覚えています。最初の一週間は第一病院管理部で医事課、経理課、業務課の研修を受け、山田一俊局長、東裕人部長、伊藤稔部長に実務指導も受けました。残り一週間は第二教育病院まで通い当時管理部長でした浅井部長に指導を受けました。宿舎に戻ってからは復習や雑談を皆でしたことが今も楽しい記憶として思い出されます。また、桜の季節だったので鶴舞公園に第二病院の事務員と鶴舞公園でお花見したこともありました。
  それから経理課資材に7年、経理課会計に14年、医事課に3年務め平成23年10月1日事務部長を拝命されました。特に思い出深いのは、会計を1人で担当し厳しい指導の中業務に打ち込んだことが自分にとっても良い経験となりました。
採用された当時は現在のようにコンピュータが導入されておらず、患者様にお渡しする請求書、領収書から会計の伝票、納品書に至るまで全て手書きでした。当時の事務所には8インチフロッピー対応のワープロの端末機1台を全員が共有し文書作成していました。今思うとよく手書きで作業していたと思います。それが今や電子カルテ端末を含め事務員には1人1台のPCが欠かせない仕事のアイテムとなり業務量の時間短縮、効率が図られました。しかし、当時と違うことは、この25年の歳月の間に、消費税導入、バブル崩壊、個人情報保護法、医療安全管理、第三者評価機構、診療報酬改定、医師・看護師不足、介護保険導入他様々な圧力が病院に伸し掛かりその都度乗り越えて今の七栗サナトリウムが存続していると思います。
 私が経験したこと、これから体験していくことについて、学んだこと学ぶことは、患者様、職員に対してどう接するか、どう接してきたのか、患者様は当病院に治療、緩和、療養を切望しそれに対し事務員として行き届いた環境やサービスを提供出来たのか出来ているのか、職員は挨拶や会話、ヤル気の出る環境、チームワークが出来たのか出来るのか、を自問自答し日々を過ごす毎日です。これらは、エンドレスの課題でこれからもついて回る問題です。
どんなに科学が発展しても私たちがお相手するのは、人なんだということ、メールやインターネットも大事ですがそれよりも、人と会話をすること接することの大切さ、そこには患者様との信頼関係、職員とのチームワークを生み出す心が存在していることを学びこれからも学んでいくことを七栗サナトリウム、藤田学園の職員として自覚し心に刻んで自分や皆の力に変えていきたいと思います。
 また、私が七栗の医療で感銘を受けたことは患者様だけでなく、家族への教育、指導や家族会などを実施し患者様の取り巻く環境にまで医療を行っていることです。私の同級生の母親が16年前に緩和ケア病棟で他界され、当時の記憶を鮮明にお話してくれました。そこには、七栗で経験した緩和、七栗のスタッフの心温まる対応だったそうです。そういった記憶に残る医療を今後も継続するのでしょう。 私は今まで良い上司、部下に恵まれ、そして今もそれ以上の環境で業務を行っています。それらを活かし、事務部のチームワーク、七栗サナトリウムのチームワークが藤田学園の改革のお力添いになることに専念したいと考えます。 何分非力な私ですが皆の力を借りて頑張っていくことをご挨拶と替えさせて頂きます。

 

▲ページトップに戻る

EditRegion4