三重県、青山高原の裾野、藤田学園の原点
25周年を振り返って
医療技術部 鍼灸師副主任 坂口 敦彦
「25周年記念誌」執筆依頼があり当時の記憶が走馬灯のようによみがえりました。
改めて月日が経つのは早いものと感じました。
大学を卒業し22歳でここ七栗サナトリウムにお世話になり45歳になります。
当時45歳の自分は想像できませんでした。
片岡晃哉先生、清田耕先生には大変お世話になりました。卒業したてで何も出来ない自分にいろいろ教えていただきました。 今あるのはご指導いただいた先生がたのおかげです。非常に懐かしく当時のことを思い出しております。 就職してすぐに兵頭正義先生の書かれた「知らなかった痛みの話」をまず読みなさいと言われました。 痛みの事をわかりやすく解説してある本でとても参考になりました。 今でも大切に読ませていただいており私のバイブル的1冊になっております。 片岡晃哉先生から痛みを訴える患者さまは待たせば待たすほど痛みが増悪する。 たとえその患者さまが動けない方、お話が出来ない方であっても、それまで頑張って生きてこられた、 すばらしい人生を想像しながら治療しなさいと言われ感動したことを覚えています。 今もその教えを守り仕事をしております。
当時、病院は現在の青山高原ゴルフ場に立てられる予定だったと聞きました。
ところが温泉を掘り当てることが出来ず、確実に温泉が出るとの事で現在の地に病院が建ったと聞きました。
グリーンロード(亀山〜白山)も安濃川の橋が未完成で、ほとんど車は走っていませんでした。
まだカーナビと言った文明の利器もなく毎日どの道で通勤するのが一番楽で早いのかと迷いながらいろんな道を走りました。
今では病院の案内看板も出ていますが、初めて病院見学に来た当時は案内看板もありませんでした。
国道165号を久居方面から病院に向かいましたが、曲がる道がわから青山高原まで走って行った覚えがあります。
秘境と言う文字が似合う地でした。 就職して間もない頃に聞いた話では、当時、病院正面玄関の横にあった温泉プールで患者さまがいなくなってから
泳いだりしたと言う話も聞きました。
その後、病院正面にバス停ができ、車が1台通れる位の今にも落ちそうな古い古い橋(湯出谷橋)もきれいな橋に架け替えられ、
砂利道も綺麗に舗装されまさしく病院の玄関になりました。
リハビリ棟、管理棟などが出来、病院自体も大きな施設になりました。
これから益々発展していく七栗サナトリウムを次の世代にバトンタッチしていきたいと思います。