三重県、青山高原の裾野、藤田学園の原点
25周年によせて
元リハビリテーション部 主任 坂本 浩
「25周年」おめでとうございます。兵庫医療大学で講師をしております坂本浩と申します。 私が七栗サナトリウムに入職したのは年号が平成に変わる前年、作業療法士になって臨床6年目の1988年12月でした。開設から約1年半ということで、病棟もまだ全て稼働していなかったように記憶しています。作業療法室も3階病棟のフロアーの一角で行っていました。母校である川崎リハビリテーション学院の恩師でもありました当時の藤田保健衛生大学リハビリテーション医学講座教授の土肥信之先生とリハビリテーション科主任の伊藤恭子先生からお話を頂き、とりあえず見学と面接を受けに、実家のある兵庫から妻と2人で三重県久居市へ向かいました。久居インターから国道165号線を経て農免道路を榊原温泉方面に車を走らせますと間もなく田園風景が広がる左手に「七栗サナトリウム」という赤いネオンのある病院らしき建物が見えてきました。しかし、当時は道路に案内の看板は無く、行けどもゆけども離れて行くばかりで、とうとう榊原温泉街まで来てしまいました。車をおりて、七栗サナトリウムという病院について、数人に道を訊ねました。皆一様に首をかしげるばかりでしたが、最近できたホテルらしき建物なら農免道路から1つ入った村を抜ける道沿いに建っていることを聞きつけ、ようやくの思いで辿りつきました。後から判明したことですが、開設当初は愛知県豊明市にある藤田保健衛生大学病院から療養目的で入院される方が多く地元の方はほとんど入院されていませんでした。現在はどうでしょう。三重県内はもとより、東海地区在住の方であれば、リハビリテーション専門病院としてほとんどの方が認知されています。また、関係者であれば世界中に認知されていると思います。Google で検索すると「ななくり」と入力するだけで4番目位に「七栗サナトリウム」と「七栗の湯」を抜いてヒットします。当時の病院長である森日出男先生との面談で、創設者である総長藤田啓介先生の発案で「七栗バーデン・バーデン構想」というお話を聞きました。温泉を利用して一大療養拠点を大鳥の里山を中心に創造するというものでありました。時代の流れを経て、回復期リハビリテーション、緩和ケア病棟、栄養サポートチーム、地域連携、三重モデル等々より発展した形で展開されているように感じます。今では田園風景の中に病院の建物が光輝いている感じすらします。これもひとえに、「患者さんのために何ができるのか?」という病院スタッフ全員の理念・利他的行為の賜物と思います。私にとっても1999年に七栗を去る約10年間の臨床経験は財産であります。それまでの多くの病院で行われていた流れ作業のようなリハビリテーションから個々の患者さんやそのご家族としっかり向き合った対応が重要であること、行っている医療の根拠と目標を示さなければいけないこと、チーム医療の重要性など多くの事を七栗サナトリウムで学びました。また、公私ともに温かく、時には厳しく接してくださった病院スタッフの皆様に感謝しております。リハビリテーション医療の発展のために今後もますますそのオーラを輝かせて頂きたいと思っております。